りつのひとりごと

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ひとりでゆるーくやってます

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45年

45年。

 

なんのことかわかりますか?

 

私のお父さんの誕生日?

 

いやいや。

 

 本日5月15日は……!

 

最近わあわあ騒いでいたのは次の記事で書くとして、

 

本日5月15日は……!

 

私たちの住む沖縄の、本土復帰から45年を迎えた日です。

 

歴史的に大事な日ですよ!ヾ(`Д´)ノ ご存知でしたか!

1972年5月15日に返還されたんですよね。

 

復帰前のことって、いろいろ聞くんですよね。やっぱ沖縄の子供だと。

学校の先生とかそこらのおじさんとかから、「私が生まれたときはね……」みたいな感じで。

 

その中で一番心に残っているのは甲子園の話。

リアルタイムで見てたっていう方もいらっしゃるのかな……?

かるくお話しさせていただくと、1972年のセンバツまでは、日本の本領なので参加していたけど本当はアメリカの統治下っていう微妙な感じだったんですよね。

球場行くのもパスポートがいるとか、あと、甲子園の土を持って帰れなかったんですよ。

外国のなんとかを持ち込むと、なんとか法に触れるとかで。

全然覚えてなくてすみません。汗

アメリカの検疫(?)が実施されてたみたいなんですね。

 

でもでも、5月15日に返還されて、夏の甲子園では、甲子園の土を持ち帰ることができたといった感じで。

 

あともうひとついいですかね。笑

沖縄の船がインドネシア近海でインドネシア軍に国籍不明船だと思われて攻撃されてしまったんですよね。

1人亡くなって、3人くらいもけがを負ったらしいです。

日の丸をあげていれば、日本とインドネシアは友好的な関係だったので、攻撃されなかったかもしれない。でも当時は、日の丸も星条旗もあげられなかったんですよ。

 

復帰前の沖縄は対日講和条約で施政権は米国にあり、潜在的主権は日本にあるという位置付けで、日の丸も星条旗も掲げることができなかった。

 

 なら沖縄の旗あげればいいじゃん!とはならないんですよね。

 

米民政府は布令で「国際信号旗」の一つのD旗で、旗の一部を三角に切り取った旗を「琉球船舶旗」に指定していた。しかし当時の報道によると、球陽丸の船長は「これを掲げても、どこの国籍か分からないだろう」と思い、掲げていなかった。当時の漁船の共通認識だったという。

 

これを掲げてもどこの国籍か分からないだろう、か……。

 

というわけで、球児たちにも漁師たちにもありがたい本土復帰のお話を紹介しました。

 

ここでりつは気になったわけですよ。

本土復帰いやな人はいたのかなぁと。

 

復帰から40年の2012年のデータですが、「非常によかった」「まあよかった」と思っている人は78%らしいですね。

ただ復帰直後の73年は不満に思う人のほうが多かったみたい。

こういうのなかなか興味深いですね。笑

 

あとでじっくり読んでみましょう。

http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2012_07/20120701.pdf

 

いやあしかし、45年ですか。

ちょっと前まで「35年か」「40年か」とか言っていたのに、りつも大きくなるわけですね。

 

来年はイベントなんかにも参加してみようかな!